最初の候補地だった天神橋筋3丁目「おかげ館」の中庭の幅は、おかげ館の横幅と通路を合わせた広さがあります(前回の写真をご参照ください)。奥行きは、その倍以上あったと思います。「おかげ館」を所有する3丁目商店会に許可をいただいて、この中庭の写真をとり、ここで地下水の取水と、そのための掘削が可能かどうか、楠見先生経由で業者に問い合わせていただくことにしました。
この中庭の上には建物がなく、空が見えます。天神橋筋商店街の店舗や住居の場合、間口はそれほど広くなくても奥行きがかなり深く、伝統的にこうした中庭がある作りも珍しくないとのことでした。また、今ではこの中庭を生かした飲食店も出てきており、皆さんも伝統的な中庭を楽しむこともできるようになってきています。間口が狭く、奥行きが深いのは「昔は間口の広さで税が決まったからじゃないかな」という話を聞いたことがありますし、奈良などでは確かにそうだったという説明を受けたことがあります。ただ、天神橋筋商店街については、「昔がいつだったのか」も、「本当にそうだったのか」も確かめていないのですが…(これはいずれの課題としておきましょう(笑))。
当時の商店連合会の会長さんは、繁昌亭という落語の定席の立ち上げを中心的に担った方々のお一人で、全国的にシャッター化の波に襲われている商店街をどうしたら盛り上げられるかをいつも考えておられる方でした。「おかげ館で地下水が復活したらなにをしましょうか?」という話をし、商店街で湧き出る水が商店街を潤すという夢を語ったものでした。
さて、業者に問い合わせてから間もなく、楠見先生から返事がきました。ドキドキしながらお話を聞いたところ、
楠見先生:「どうも狭すぎでだめだとのことです」
語り手:「…」
語り手:「どうにかなりませんか?それなりに広いですよ」
楠見先生:「本掘するのにやぐらを組むのですが、それを組むには狭すぎるとのことです」
語り手:「(未練がましく粘る)いや、でも、その、中庭、上は開いてますよ。やぐらなんとか…」
というやりとりを経て、再度確認していただいたりしたのですが、
「狭すぎる」
という結論は変わりませんでした。
そして、後日、天満宮で本掘がはじまったとき…「いや、これはおかげ館ではむりだわあ(笑)」となったのでした。