この物語は、2010年の初旬、リサーチアトリエという研究施設を天神橋筋3丁目商店街の中に作る準備をしていたところから始まります。
リサーチアトリエは、この年の7月にオープンするのですが、その準備のために、場所を貸してくださる大家さんと各種の相談をしていましたときの話です。
(大家さんは商店街の理事もなさっている「まちの生き字引」のような方で、たくさんの勉強をさせていただきました。)
相談が終わった帰り際、、何のはずみだったのか、「昔、この並びにもお豆腐屋さんがあった」という話になりました。
大家さん:「そんな時代もあって、井戸の水をつかっていたんですよ。きれいないい水があって、お豆腐もそれでつくっていたんです」
語り手:「もう井戸はないんですか?」
大家さん:「井戸はもう枯れてなくなってしまったと思います。それに、地下水の利用で大阪の地盤沈下も起こり、いまはもう新しい井戸を掘ることはできないらしいんです」
語り手:「井戸が商店街に復活したら、あたらしい人のつながりができそうに思うのですが…、もう掘ることはできないんですねえ」 記憶なので、あくまでこんな感じの会話です。
大家さんはきれいな大阪ことばを話されるので、大家さんのお話ももっとずっと趣きがありました。
井戸の復活はできないという話を残念に思ってから数か月後、2010年5月22日の土曜日、「町街塾(まちがいじゅく)」という催しが北浜の老舗料亭「花外楼」でありました。
町街塾は、商店連合会、関西大学などが連携して行ってきた文化事業で、そのときの町街塾は大阪の芸者さんの踊りなどを拝見し、お話を聞かせていただくという内容でした。関西大学からは、当時の学長の楠見晴重先生、副学長の黒田勇先生、そして、私(語り手)が参加させていただきました。
いろいろと楽しく学び、大学まで戻る学長の車に同乗させてもらったのですが、このとき…
ここから井戸の復活の物語が始まります。
続きは、また。